母との日々を思い出す

公開日: コメントなし

涙が…

ジワってきた
そこの場所へ行くと、
思い出すこと次から次

ずぅっと一緒だったね

お世話できることが幸せだったよ

母との日々があった病院で自分の検診

先日、健康診断のために病院へ。
その病院は、母が最期までお世話になっていた病院。
母の通院で行き慣れていた病院。

レントゲン室前で胸部レントゲンの準備を待ってる時間。
そこは、いつも母と並んで座って
母が呼ばれるのを待っていた場所。
椅子も景色も変わっていない。
母とここにいた、とフッと何か思いがこみ上げてくる。

懐かしいし、母と話したくなるし、
でも、ああ、そうだったなぁ、
だけで終わっていいような気もするし…。

母と居た、
母のお世話で病院に通っていた
それは私は幸せだったな、と。

病院での最期がイヤだったのは私?

母を救急車で病院へ運んでもらった後、
数日して、症状が落ち着き、
病院での積極的な治療は何もできない、と言われ、
安静にして寝ているだけの日々。

入院前はそれほど認知もなかった母。
病院にいると認知症状の頻度が増えていった。
母が壊れていくようで怖かった。

「帰りたい、帰りたい」と繰り返す母。
治療も無しで寝ているだけなんてできない話だ。
でも、身体に負荷、血圧が高まると危険な状態になるかも?
病院は退院を簡単には許可してくれない。

けど、自分も自分の姉妹も
母が壊れていくより、
母が望むように
母が母らしくいられるように、
それが優先だった。

「もしものことがあるかも」を承知で
退院させたい

と申し出た。

何度も病院側にほんとにいいの?と確認された。

でも、病院にいても、世話をしてもらえるわけではないし
夜は付添をさせてもらえないし、
その状態は母の認知をさらに進めてしまうことになるし。

総合病院の対応がどうにも任せる気持ちになれなくて。

なので、母が自宅に戻ることを選んだ。

一般論としては
病院へ預けていた方が命は長くなるのだろうけど…。

退院させることは、いつどうなるかわからない。
母の命を短くしてしまう結果になるのかも知れない。
でも、母のことを自分が把握できて、納得できる状況。
そちらを優先したかった…。

病院での対応は見ていてあまりに辛かった…。

やはり「その時」はきた

その後、自宅に戻り、
母は、自宅のトイレに自分の足で行くこともできた。
ちゃんと会話が成立し、病院でのちぐはぐな認知症状が
何だったんだろう、と思ったくらいだ。

やっぱ母はスゴイ!と姉妹で喜んだ。

かかりつけ医にも受診し今後をお願いした。

 

でも、退院の翌々日の夕方、
ひとしきり娘たち全員との時間を楽しんだ後、
母の動脈瘤は破裂してしまった。

命の長さとプライドとココロと

4年経過する。
今でも、ほんとに良かったか、
繰り返し考える。

病院にいたなら
母の命はもう少し長らえたかもしれない。

でも、全くわからなくなっているわけじゃない母。
病人だし、自分ほどに健康じゃなかったわけだから、
病院の対応が少しくらいプライドが傷つくような対応だとしても、
「仕方ない」と考えるのもあるのかも知れない。
命が延びるのなら…。

母はどう思うだろう?

どこまでココロが感じていたのだろう?

我慢はどこまですべき?
命に関わるのなら何に代えても我慢する?

※※※

検診の待合室で母のこと、考えてました。

 

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